青春を読む 宮本輝『星々の悲しみ』
「青春」を定義することはとても難しいと思う。
中学~大学生くらいまでの経験を仮に「青春」と呼ぶとしたら、
自分の青春は、理由のないけだるさと眠気をベースに時折激しい
動悸と頭痛に見舞われる、一種の「病状」のようなものだった。
(ていうかよく考えたら更年期障害とよく似ている)
まあ、それは良いベクトルにも悪いベクトルにも決してドラマチック
なものではなかったし、その「病状」は性懲りもなく今も影のように
まとわりついてきて慢性的なものになりつつある。
思えばその少々厄介な「青春」の只中にいた高校生くらいのころから、
自分は青春の定義を探し始めたのだと思う。
だけど、ありきたりな言葉やストーリーに頼った物語は、それはそれで
楽しかったのだが、青春の一般論的な(「青春とはこうあるべきだ!」的な)
イメージを明らかにしても、決して自分自身が経験したまとわりつくような
粘着質で切迫した感覚のなんたるかを明らかにはしなかった。そして
だんだんと「青春」というワードがゲシュタルト崩壊していく。
だから、大学二年生の夏にこの本を地元のブックオフで見つけたとき、
カバー裏の作品紹介を読んで、「青春」の二文字が書かれていることに
惰性のような期待と失望を覚えた、ことを覚えている。
まあ、結論から言えば、自分はこの作品を読んで宮本輝のファンになった。
表題作の「星々の悲しみ」含め、短編七作すべてに、自分が体験してきた「青春」
とのつながりを感じた。けだるさ、苛立ち、純粋さと狡猾さ、やさしさと殺意、
その他多種雑多なうねうねとした感情やら思考やらを、一つの物語として
表現しきってしまうその言葉の妙に魅了されたのである。
だからと言って、「これを読んだから劇的に人生が変わりました!」という
わけではないのだけれど、ただこう、物語が体の中にスーッとしみこんでいく
ような、何とも言えないエネルギーをもらったと思う。
小説ってすごいな、と純粋に思った。
その後、近隣のブックオフと古本屋から宮本輝作品がごっそり姿を消したことは
言うまでもない。