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書をもって、街に出る

といいつつ、なかなか出ない

「プロ」の読書量について 宮本輝『魂がふるえるとき』

すっかり秋めいてきた。

 

肌を通り抜ける風も冷たく感じる。

風に吹かれて道を歩く、秋の夕暮れ。

 

風に吹かれて…

Blowin' the Wind...

ボブ・ディラン...

 

そう、ボブ・ディランだ!

 

ノーベル文学賞、なんとボブ・ディランがとるとは!

こいつはなんというか、斜め後ろから一発食らった感じ。

 

村上さんは今年も受賞ならずということですか。

千駄ヶ谷のファンはさぞかし落胆していることでしょう。

 

www.huffingtonpost.jp

 

「アメリカの歌の伝統に新たな詩的表現を生み出した」(NHKニュースより)というのが授賞理由らしい。

 

なんというか、文学賞にこういう切り口もあったということが新鮮な驚きというか、「文学=小説」というステレオタイプから、なんだかんだ言って脱却できない自分自身の視野の狭さに猛省した今日この頃である。

 

こんな誰でも知っているようなニュースを書くために、冒頭のような安易な連想ゲーム的駄文を綴ってしまった私をどうかお許しください。

 

<「ひとの本棚」を見る快感>

 

さて、今回紹介したいのは宮本輝編の短編集、『魂がふるえるとき』。

 

魂がふるえるとき―心に残る物語 日本文学秀作選 (文春文庫)

魂がふるえるとき―心に残る物語 日本文学秀作選 (文春文庫)

 

 

なんかこういう「まとめ」的作品集って、編集した人の本棚の一部を垣間見るようで得体のしれない快感がある。本棚の片隅には、大っぴらに人には言えないような、その人だけの隠れた思考(あるいは「嗜好」)が埋まっていたりするから。

 

今回も、宮本輝自身の小説には現れ出ない、彼の思考(嗜好)の端緒に触れたようで、宮本輝ファンの私としては大満足であった。

 

そして思い知った。

 

宮本輝という作家が、いったいどれだけの読書量を、どれだけの「質」をともなってこなしてきたかということを。

 

この本で紹介されている短編(いずれも、本好きなら誰でも知っているような大作家ばかりである)の中で、自分が知っているものは一つもなかった。そしてそのどれもが、独特の質感と世界観を持った印象深い作品であった。

 

いったいどれだけの読書量をこなせば、そしてどれだけ感度の高い読書感受性を持っていれば、数ある短編小説の中からこういった作品を選り抜くことができるのか。

 

なんともはや、そうか、これが「プロ」か。

 

読書量を人と競うなんてことはくだらないと分かってはいても、やはり自身の読書の「量」も「質」も、到底この人に及ばないことを痛感するのだ。

 

ましてや、そんな宮本輝が尊敬してやまないという作家たちの力量などは推して知るべしである。異次元の領域である。

 

人の魂を震わすことができるのは、こういう人たちなのだろう。

 

(…ちなみに短編16編の中での私のお気に入りは、尾崎一雄の「虫のいろいろ」です)