書をもって、街に出る

といいつつ、なかなか出ない

それでも生きるのが人間 井上靖『おろしや国酔夢譚』

<だれでも一度は思う、「ロシア広すぎワロタw」>

 

子供のころ、世界地図を眺めていて、ロシアという国の異質さに度肝を抜かれたことがある。

 

ユーラシア大陸の北側をのっぺりと埋め尽くすように広がる国土。

住める場所も限られているような厳寒の地に根を張り、歴史を塗り重ねてきたロシという国に、幼いながらも妙に引き付けられたのを覚えている。

 

「世界中のどの国とも性質の異なる、得体のしれない奥深さを持った大国

というのが、自分のロシアという国に対する第一印象であった。

 

<ちなみに、「おろしや国・酔夢譚(すいむたん)」と読みます>

それから多少なりともロシアの歴史を学んでいくにしたがって、ただただ得体のしれない印象だった国から、色彩豊かな歴史の重みをもつ一大国、という風自分の中での位置づけも変わっていくのであるが、井上靖『おろしや国酔夢譚』という物語も、そうした色彩により深みを持たせる一つのきっかけになったと思う。 

おろしや国酔夢譚 (文春文庫 い 2-31)

おろしや国酔夢譚 (文春文庫 い 2-31)

 

なにより、歴史の教科書で名前だけは覚えた、という程度の大黒屋光太夫という人物について、そして彼がたどった数奇な運命について詳しく学べたことがうれしかったし、それを歴史文献から小説としてここまで面白いものに仕立て上げる井上靖という作家の実力に改めて感嘆せざるを得なかった。

 

<人に生きようと思わせるものは何なのか>

カムチャッカに漂着してから、オホーツクを経由し、ヤクーツクからイルクーツクに至るまでの凄惨としか言いようのない移動。その中で次々と息絶えていく仲間たち。

 

過酷すぎる運命に翻弄されながら、それでも必死で生きようとする光太夫たちの姿には感動せざるをえないし、彼らに救いの手を差し伸べてくれるラックスマンをはじめとするロシア人たちの懐の深さにも感嘆させられる。

 

だが、やっぱり一番すごいと思うのは、光太夫たちを「初めから超絶強固な意志をもっていたマッチョな偉人達」として描くのではなく、「幾度も悩み苦しみながら、運命のいたずらによって異国の地で生きざるを得なかった普通の日本人たち」として描く井上靖の感性である。

 

死んだほうが幾分かマシだ、と思わせるような状況で、それでも人を生きさせるものはなんなのか。この物語は、そういう問題提起を含んでいると思う。少なくても私はそう思った。

 

最後、光太夫がやっと故国日本に帰ってきて抱く複雑な思いの中には、そもそも生きるということの中に含まれる一抹の悲しさとか、人間と「生きること」との葛藤みたいなものが真摯に描かれていると思う。